「気づいたら、私の居場所ができていた」。南信州の場づくりに、いま人が集まる理由。「サテラス」/折山尚美さん、中川めぐみさん

事例紹介 

「信州」とひとくちに言っても、面積は全国第4位。エリアごとにリゾートテレワークの動きもさまざまです。そんななか近年、県内各地で耳にする「いま、南信州が熱いらしい」との声。事実、同地域ではシェアオフィスやコワーキングスペース、ゲストハウス等の新設が相次ぎ、移住者交流の取り組みも同時多発的に進行。地域づくりを学ぶ学生からキャリアやライフスタイルの転換を考える移住希望者、2拠点生活を志向する人まで、多様な人材が流入しています。

そこで今回は、このエリアで数々の”場づくり”を手がけてきたキーパーソンである折山尚美さんと、飯田市と東京との2拠点生活を続けながら2024年10月に公開イベントを控えたサテライトオフィス兼地域の交流スペース「サテラス」開業準備中の中川めぐみさんに、実際にここで何が起こっているのか、南信州の「いま」について聞きました。

プロフィール:

折山尚美(写真右)

新潟県出身。結婚を機に南信州・飯田市へ移住。病院勤務ののち、ホリスティック医療のひとつ・アーユルヴェーダを学ぶためスリランカへ渡り、「スリランカ政府認定アーユルヴェーダインストラクター・プロフェッショナルアドバイザーオブハーブ」を取得。その知識と経験を生かしながら、飯田市内企業の一事業として5店舗の古民家カフェのリノベーション計画から立ち上げ、運営までを担ってきた。現在は合同会社nom代表として、南信州各地の「失いたくない風景」を起点に地域内外の人々と交流しながら新たな場づくりを手がけている。飯田市「移住こんしぇるじゅ」としても活動中。

中川めぐみ(写真左)

富山県出身、東京都在住。現在はインテリアとグラフィックのデザイン制作を中心に活動。カナダ・トロント在住中にニューヨークやモントリオールに行き、様々な文化やデザインに触れ知見を広げる。帰国後、南信州での事業を皮切りに空間作りを通して街に新しい景色を作っていくことを理念に再スタートを切る。現在は、飯田市に新たな拠点「サテラス」をつくるべく、開業準備中。

二拠点生活を開始して半年。気づけばコワスペ運営者に

ーーまず最初に、現在開業準備まっただなかの「サテラス」にお邪魔しました。外観から、かなり趣ある建物ですね。

中川めぐみさん(以下、中川) そうなんです。この建物の前の道は「春草通り」と名付けられ親しまれている、市内でも歴史あるエリアで。飯田領主・堀候の家臣の住居であるこの「安東家屋敷」も大正時代から昭和のはじめごろに建てられたといわれています。

じつは飯田市は、1947(昭和22)年に発生した「飯田大火」によって、多くの歴史的な建物が焼けてしまったそうです。しかし、幸いこの建物はギリギリのところで消失を免れ、当時の面影を残しているんです。

ーー富山出身で、現在も東京に拠点をもつ中川さんが、この場所の運営を担うことになるまで、かなりの急展開だったとか。

中川 はい。きっかけは、カナダから帰国した私が、明治大学 建築・アーバンデザイン研究室の佐々木宏幸教授に「地方の空間づくりを通じたまちづくりに関わることがしたい」と相談したことから。すぐに「それなら長野の飯田市がいい、面白い方がいるんだよ」と、折山さんをご紹介いただきました。帰国したのが4月末で、ご紹介を受けてはじめて来たのが5月中旬。そこから急展開でこの場所の運営を担うこととなり、以来毎月、東京から飯田に通っています。

ーー折山さんは前職時代から、主にここ飯田市で古民家の再生・活用を長く行ってこられました。

折山尚美さん(以下、折山) シンプルに、古くて美しいものが好きなんです。これまで5軒の古民家をリノベーションし、カフェやシェアキッチンとして運営してきたけれど、それは全部「この街に残したい」と思う魅力的な物件だけ。「ここにこの建物があと50年残っていたら、私たちがいなくなっても誰かがきっとまた、繋いでいきたくなる」。そう感じる建物を、その建物の魅力を損なわない程度に手を入れて使ってきました。

ここ「安東家屋敷」も、まさにそんな想いから「目をつけて」いた場所のひとつ。ご縁あって、2023年からアーバンデザイン研究室の学生たちとこの物件に入ることができ、片付けをしたり、外壁を塗ったりという作業を公開しながら行っていたんですね。けれど、「じゃあどんな場所にする?誰が運営する?」ということは、決められていないままで。

そんなとき、中川さんが来てくれて、運営者も、この場の活用法も、急ピッチで決まって。だから私たちにとっても、中川さんが来てくれて本当に助かったんです。

明治大学 建築・アーバンデザイン研究室ゼミ生たち。現在も中川さんとともに「安東家屋敷」のリノベーションや地域の特産品開発などを行っている
明治大学 建築・アーバンデザイン研究室ゼミ生たちが開発したブランド「SHIKATO(シカト)」のプロダクト。これまで目を向けられてこなかった(”シカト”されてきた)鹿皮に着目し商品を開発、クラウドファンディング形式で販売しているほか、この場所の公開イベントでも紹介する予定(https://www.meiji.ac.jp/koho/press/2023/mkmht000000hspp2.html

ーー中川さんは、この場所をどのように活用しようと考えているのでしょう。

中川 2階はリモートワークなどをされる方向けのワーキングスペースに、1階は地域のおじいちゃん、おばあちゃんも気軽に立ち寄れるようなシェアリングスペースにしようと、徐々に構想が固まってきました。現在は、10月に予定しているはじめての公開イベントの準備を、みんなで進めているところです。もちろん、建物の劣化や断熱の問題など、まだまだクリアにしなければいけないことはあるんですが……まさにやりたかったテーマに取り組むことができているので、悩みながらも、楽しんでいます。

折山 都会には、こんなふうにパッときて自由に活用できる「場」って、まずないじゃないですか。良い物件はあったとしても、とんでもない額の投資が必要で、未経験者が入る余地なんてなかなかありません。けれど地方に来てみると、生かされるべき「場」はたくさんある。活用を担える「人」のほうが、圧倒的に不足しているんです。ここをマッチングしていけば、お互いにとってお互いにとってものすごく嬉しいことですよね。

「安東家屋敷」(「サテラス」予定地)2階。床柱などには、飯田大火の記憶を伝える傷が残っている。

シェアハウス、シェアカフェ、コワーキング、Local DAOーー。ゆるやかにつながるプロジェクトが同時多発中

ーー折山さんが再生活用を手がけられたカフェ「KURANO」に場所を移してお話をうかがいます。いま、南信州がでどんな動きが起きているのかについて教えてください。

折山 実感はないけれど、数えてみるとたしかに、いろんな人がいろんなコトを同時多発的に動かしているのが当たり前のようになっているかもしれません。

折山 たとえば、私がこれまで経営を担ってきたシェアカフェ「テンリュウ堂」は、IT関連事業を行っている若者に引き継ぐことになりました。建物のある「天龍峡」というエリアはつい先日、NFTを通じた地域ネットワークの仕組みである「Local DAO」の新たな地域として、参加が承認されたばかり。これまでシェアキッチンとして使っていた1階だけでなく2階もゲストハウスにして、デジタル村民の来訪を受け入れていく予定です。

Local DAO候補地としてのプレゼンサイト。「消費される観光地ではなく、故郷として育む観光地へ」との想いが綴られている

折山 テンリュウ堂の近くには、元地域おこし協力隊のデザイナー・渡辺くんが立ち上げたシェアハウス&シェアオフィス「百花堂」があるし、飯田市下久堅という地域にある「風の学舎」は化石燃料ゼロの暮らしを体感できる宿として長年愛されている。そのすぐ近くの「木の駅下久堅」では、地元の木で家具をつくるプロジェクトが動いています。

https://www.instagram.com/hyakkado_iida

シェアハウス&シェアオフィス「百花堂」インスタグラム。1泊1,500円〜、1ヶ月35,000円〜のシェアハウスとして利用者を随時募集中だとか

折山 あとは、飯田市外に目を向ければいま、高森町では4つの蔵と納屋をリノベーションしたゲストハウス、カフェ、パン工房の複合施設「Daikokugura(https://www.instagram.com/daikokugura/)」が、オープンの準備を進めていたり。

小さなエリアですから、こうしたプロジェクトのプレイヤーはだいたい知り合い同士で、ゆるやかにつながって動いています。

中川 折山さんが運営する、松川町の「古町亭」にも、いろんな人が集まってきていますよね。

折山 そうですね。古町亭にはローカルの暮らしや古民家再生、DIYに関心のある人がいろんな場所から集まってきていて、一度来たらもう、翌日には壁を塗っていたり、次にはさらに仲間を引き連れてきてくれたり。いつでも誰でも、やれることはたくさんあるから、関わりしろも多いし、話が早いんです。

加えて以前から大事にしているのは、みんなでご飯を食べること。「ご飯できたよ、食べなよ」って、みんなで食卓を囲むと、自然と仲間意識が生まれるでしょう。そうしたらなんだか、この場所に居場所ができて、心の距離も近くなって、また来たくなる。それが、私の狙いなんです(笑)

「リゾート」から「居場所」へ。ここでの日々が、いつか日常になったら

ーー南信州の魅力を「人のあたたかさ」や「親しみやすさ」と語る人は多いですね。

中川 それは本当に感じます。私自身、「地方のまちづくり」を志向していたものの、具体的にイメージしていた街というのはありませんでした。その状態で飯田に来てみたら、外から来た人も自然と受け入れてくれる、この地域の人たちの「壁のなさ」が、これまで滞在したどの街と比べてももケタ違い。すぐに打ち解けられ、ちゃんとコミュニケーションできる方ばかりなので、私にももう友人ができました。だから今は仕事という感覚よりも、生活の延長線上としてこの場所に通っています。

ただ、私の場合は折山さんを介して地域の方々と知り合うことで、「あの人の紹介なら」と信頼をしていただいているという面が大きいです。そんなふうに、折山さんをハブとして集った移住者や2拠点生活者は、この地域に多いんじゃないかな。

折山 たしかに、いきなり一人でぽんと入るよりも、誰か一人でも知り合っておくことが、地方に溶け込む近道かもしれない。私も飯田市から「移住こんしぇるじゅ」の役を拝命していますが、同様の役割の人はみんな、人と人をつなぐのが得意な人ばかりだと思いますよ。

ーー場を生かし、人が集う。理想としては描いてもなかなか実現できないことが、ここ南信州ではたくさんかなえられていると感じました。

折山 そうね、たしかに空き家改修も、そこからの収益化も容易なことではないです。時間もお金も、両方かかりますから。だから私も、仲間と立ち上げた「合同会社nom」は活動期限を一旦3年と決めて、そこまでに収益化できなければ潔く別の動きを模索しようと思っています。ただ、三遠南信道ができ、リニア中央新幹線が通った先の未来に、この地域らしさを残す建物や景色がなにも残っていなかったら、せっかく南信州を訪れた人が魅力を感じられなかったらと思うと、寂しいじゃないですか。

歴史を感じる、美しい場所が各地でポツポツとでも残され、生かされていくことで、南信州に「めぐる楽しさ」が生まれてくるし、一つひとつの場が響きあい、地域全体としての価値になる。そうなれば、「リゾート」として訪れたテレワークの人も、徐々に通う回数が多くなり、ここでの日々が日常になるかもしれないーー。

そんなふうに、にぎわいに満ちた地域に私も暮らしていたいし、人を迎えていたいんです。私、このエリアは世界からみたら「日本ていったら南信州、伊那谷だよね」ぐらい言われるべきポテンシャルを持っていると思っているんです!

訪れるまでは知ることもなかった土地や人と、距離を縮めていくーー。そんなゼロからイチへのステップを、リゾートテレワークをきっかけに軽々と超えていったように見える、中川さん。それは折山さんという「つなぎ人」の熱きエネルギーがあってこそ成し得たことなのでしょう。

人口減少や高齢化、経済の停滞等を原因とする地域課題が各地に存在するのは事実。しかし、近づいてみればそこには必ずと言っていいほど、その土地を愛し、課題解決のために行動する人や団体の存在があり、マンパワーや外部からの新たな知見とのマッチングを求めている、というケースも少なくありません。だからこそ、今回のような「幸せな出会い」に私たちが学ぶところは大きいと感じます。

いま、「南信州が熱い」と言われる理由が、二人の笑顔に表れているようでした。